歴史、音楽、サッカーをテーマに、ヨーロッパ各国とアメリカ各州を歩いた旅の記録です。アジアも少し歩き始めました。

ヨーロッパの旅は、バルセロナやドルトムントなど有力サッカーチームの試合観戦と古代ローマなど西洋史の舞台や遺跡を巡ります。

アメリカ各州の旅は、ポピュラー音楽を楽しみつつ、その歩みや歌詞を手掛かりに、各地の文化、歴史と触れ合います。移民大国、人種のサラダボウルと呼ばれる国、アメリカ。生み出される音楽も実に多種多様です。以下はこの旅で出会った音楽です。

country music (カントリー)、western swing (ウェスタンスウィング)、roots rock (ルーツロック)、southern rock (サザンロック)、pops (ポップス)、bluegrass music (ブルーグラス)、folk music (フォーク)、mountain music (アパラチア山脈の伝統音楽)、blues (ブルーズ)、R&B、soul music (ソウル)、Dixieland jazz (ディキシーランドジャズ)、cajun music (ケイジャン)、zydeco (ザディコ)、minstrelsy (ミンストレルシ)                      (タイトル写真) Pensacola Beach,Florida,USA
     

7/17/2015

34. Gone with the Wind


 平成27年7月14日火曜日 15:57

アトランタ歴史博物館(Atlanta History Museum)を見学して、南北戦争についてにわか勉強した後、マーガレット・ミッチェル・ハウスに到着。

Margaret Mitchell House
マーガレット・ミッチェルは、アトランタの中心部にあるこの家で Gone With The Wind (風と共に去りぬ)を執筆した。

Gone With The Wind (風と共に去りぬ)は、南北戦争時代のジョージア州を舞台にしたマーガレット・ミッチェルのベストセラー小説。ビビアン・リー主演で映画になったし、日本でも有名。僕も映画で見ました。

係員が展示物を説明するミニツアーに参加する。参加者は15人くらい。ドイツからきた女性もいるし、ブラジルからは子供連れの家族。グローバルだ。ここは、日本代表で頑張らねば。



マーガレットは、アトランタに生まれた。歴史好きの父親の影響で、小さい頃から母親にこの戦争の話をよく聞かされており、熱心な読書家でもあった。それがこの小説を書く契機になったらしい。


ちなみに主人公スカーレット・オハラ(Katie Scarlett O'Hara)はジョージア州の「タラ」という町で育った設定だが、これは、架空の町。
オハラ(O'Hara)は、アイルランド移民の苗字だが、「タラ」もアイルランドには実在するらしい。

映画に出てくるタラのセットは、カリフォルニアで建てられた

小説の背景になっている南北戦争 (The Civil War) は、19世紀半ば、アメリカ合衆国内が二つに分裂して戦った内戦。奴隷解放について考えの違いから、北部対南部という構図になった。犠牲者はアメリカの戦史上最多。第二次大戦の死者より多い67万人にのぼる。



 


南軍旗 通称Dixie Cross

北部州の思惑 
工業化が進みつつあり、南部の
奴隷を解放して労働力にしたい。イギリス製品と競合するため、関税は高くして貿易を保護したい。
南部州の思惑
奴隷制を維持して綿花畑等で働かせたい。綿花をイギリスに輸出し、製品はイギリスから購入するから、自由貿易でいい。

1860年、奴隷解放を政策とするリンカーンが大統領に当選したのを契機に、南部に不安が高まり、南部の州は次々とアメリカ合衆国を離脱し、アメリカ連合国(Confederate States of America)という別の国を宣言した。



リンカーンが大統領に就任した1861年、綿花等の輸出港だった東海岸のチャールストン沖に合衆国が築いていたサムター要塞を、南部諸州が攻撃し占領したことから始まった。


下図は、重要な戦場を示した地図。



                  ⬇
南北戦争の主な戦場
拡大図(別ページが開きます)
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zgdrMvkciFqM.k3ZxDrYb8fS8&usp=sharing

合衆国軍(北軍. Union)は、1863年南部への玄関口チャタヌーガの戦い(地図の緑色)でアメリカ連合国(南軍)に勝利し、翌1864年南下してアトランタ(地図の水色)を攻撃する。

チャタヌーガは、テネシー川の水運の拠点であり、南部の入口にあたる好立地。
アトランタは、南部の鉄道網のハブ駅で、物資輸送の要所だった。

偶然にも先日、僕はアトランタからチャタヌーガへ向かったが、シャーマン将軍率いる北軍は、その逆の経路を進攻したことになる。

作品では、アトランタが陥落して炎に包まれるシーンがあるが、この1864年の出来事。

その後、シャーマン将軍率いる北軍は、ジョージアを東海岸のサバンナ(Savannh)まで破壊の限りをつくして進撃し(Sherman's March to the sea through Georgia)、州内は焦土と化した。

1865年4月、南軍の首都バージニア州リッチモンドが陥落、続くアポマトックスで南軍のリー将軍は降伏。北軍の勝利に終わる。





 
The bandの曲に"The Night They Drove Old Dixie Down"という名作がある。リッチモンドが北軍に陥落する時を取り上げた曲なので、参考にしてみたい。




"The Night They Drove Old Dixie Down"

Virgil Kane is the name

And I served on the Danville train

'Till Stoneman's cavalry came

And tore up the tracks again

In the winter of '65

We were hungry, just barely alive

By May the 10th, Richmond had fell

It's a time I remember, oh so well

The night they drove old Dixie down

And the bells were ringing


俺の名前は、バージル・ケイン

ダンビル鉄道で働いていた。

ストーンマンの部隊がやって来て

軌道を根こそぎ破壊するまではね。


1865年冬、俺たちは、腹をすかして

かろうじて生きていた。

5月10日までに、リッチモンドが北軍の手に落ちた。

いまでもよく覚えているよ。


あの夜ユニオンは、ディキシーを追い払ったんだ。

ベルが鳴り続けていた。



wikiによると、歌詞にでてくるストーンマンとは、George Stoneman, Jr.という北軍の陸軍指揮官で、北軍のシャーマン将軍の指揮下にいた人物らしい。
The band の曲、The Night They Drove Old Dixie Down との関係も書いてあった。


Wikiより抜粋

George Stoneman, Jr. (August 8, 1822 – September 5, 1894) was a United States Army cavalry officer,
(中略)
While commanding cavalry under William Tecumseh Sherman in Georgia, Stoneman was captured, but soon exchanged. In the last weeks of the war, he led raids into Virginia that inspired the song "The Night They Drove Old Dixie Down" by the Band.

さて、南軍の敗因だが、その一つとして、もともとあまり準備なしに戦いに突入してしまったようだ。しかし、綿花輸出の相手国イギリス、フランスがきっと南部を支援してくれると楽観視していたらしい。ところが、両国は、綿花の輸入先をインドや中東に切り替えてしまった。


ところで、今でも、南部を車で走っていると、南軍旗をみかける事がある。ミシシッピー州は、州旗に南軍旗が入っているからびっくり!(◎_◎;) 


ミシシッピー州旗
 マーガレット・ミッチェル・ハウスを後にして、次は、アトランタで牧師をしていたキング牧師ゆかりの地を訪ねよう・・・としたが、時間切れでした。



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