歴史、音楽、サッカーをテーマに、ヨーロッパ各国とアメリカ各州を歩いた旅の記録です。アジアも少し歩き始めました。

ヨーロッパの旅は、バルセロナやドルトムントなど有力サッカーチームの試合観戦と古代ローマなど西洋史の舞台や遺跡を巡ります。

アメリカ各州の旅は、ポピュラー音楽を楽しみつつ、その歩みや歌詞を手掛かりに、各地の文化、歴史と触れ合います。移民大国、人種のサラダボウルと呼ばれる国、アメリカ。生み出される音楽も実に多種多様です。以下はこの旅で出会った音楽です。

country music (カントリー)、western swing (ウェスタンスウィング)、roots rock (ルーツロック)、southern rock (サザンロック)、pops (ポップス)、bluegrass music (ブルーグラス)、folk music (フォーク)、mountain music (アパラチア山脈の伝統音楽)、blues (ブルーズ)、R&B、soul music (ソウル)、Dixieland jazz (ディキシーランドジャズ)、cajun music (ケイジャン)、zydeco (ザディコ)、minstrelsy (ミンストレルシ)                      (タイトル写真) Pensacola Beach,Florida,USA
     

5/13/2012

7.アビニョンとポンデュガール(南フランス)


平成24年5月6日日曜日 17:45

アビニョン
アビニョンは、典型的な城壁都市。今も完全に包囲されている。
下の写真は、
アビニョン中央駅前ロータリーから城門方向を撮影。


- 平成24年5月6日日曜日 17:46

アビニョン  旧市街
アビニョン中央駅から続くメインストリート。白い幹のプラタナスがいい感じ。
 ところがこの町、メインストリートを一歩はずれると、まるで迷路のよう。
車も入れない不規則な細い道ばかり。一度迷うと自力では脱出不可能なのだ。
- 平成24年5月6日日曜日 19:20

アビニョン
 泊まったホテル近くの
NewGrandというフレンチレストランで夕食。
   ホテルの主人のお勧めの店だ。というより、ホテルから遠いと迷路を戻る自信がない。
 €20程度でコースがある。メインはヒラメのムニエル。

 ホテルはフランス人の家族が経営するプチホテルだったが、主人の英語が上手で助かった。




- 平成24年5月7日月曜日 9:40

ポンデュガール (Pont-du-Gard) へ

 アビニョン中央駅近くのホテル ibis向かいのバス乗り場から、 8:45発、Ales行き路線バス(Ligne A15)に乗り、古代ローマの水道橋ポンデュガールに向かう。料金は€1.5.    50分も乗るのに格安。

 ただ、路線が沢山ある上、バス停が分かれている。昨夜ホテルの主人に訊いたら「乗り場は中央駅の隣だよ」と言われたので、行けば分かると思っていたが、なかなか見つからず、朝から冷や汗。本数が2〜3時間に一本と少ないので、逃すとアウトだし。前日に下見しておくべきだった。人に尋ねたりして、出発時刻ぎりぎりに乗り場を見つけ、バスに飛び乗った。

 9:30頃 Round-point Pont-du-Gardにて下車。写真は、Pont-du-Gardへの入口。ここからは徒歩で。




- 平成24年5月7日月曜日 11:06
ポンデュガール (Pont-du-Gard) 世界遺産

Pont-du-Gard

   ガルドン川の川面に映えるPont-du-Gard 。この旅のベスト ショット。
   帝政ローマ時代、紀元1世紀に架けられた説が有力。2000年前に、こんな不便な場所に巨大な石橋。これだけでも凄いが、ローマのコロッセオやベローナのアレーナも同時期の建築だから、年中何処かで工事中ということになる。
   3層から成るアーチが素晴らしい。ヨーロッパ各地に古代ローマの水道橋が残っているが、このスケールと景観はたぶんNo1だろう。
   この水道橋の下を車が走り抜けるテレビCMがあったが、あれは合成だったのか......







- 平成24年5月7日月曜日 11:47

 水路は、水源からニームという町まで水を運ぶ。写真の白線が水路。ポンデュガールは、その中間あたり、ガルドン川に架かる。











- 平成24年5月7日月曜日 15:05

アビニョンローマ教皇の宮殿
世界遺産






  ポンデュガール13:22発のバスで、アビニョン中央駅に戻る。infoで地図を買う。今日は、昨日と別のホテル。アビニョンのホテルの場所は、法王宮殿に近いが、中央駅からは、徒歩10分。足が痛いし腹減った....
   ホテルにチェックイン後、荷物を置いて、法王の宮殿に向かう。今日は、昼メシ抜きになりそう。
 法王の宮殿はかつてローマカトリックの総本山だった建物。勿論、バチカンが総本山だが、実は、一時期アビニョンに移った。


- 平成24年5月7日月曜日 15:07
ローマ教皇宮殿入口
   ここを見学しないと、アビニョンを観光する意味がない。入場料€10,5、電話の受話器ような解説機器代込み。日本語もある。






- 平成24年5月7日月曜日 15:30
アビニョン

ローマ教皇宮殿内 クレメント5世の掲示板




   紀元1310年、時のローマ教皇クレメント5世により、教皇庁ごとアビニョンへ移転(避難?)した。当時のローマは、天敵の国王勢力が強く、教皇にとり環境が最悪だったみたいだ。結局、9代に渡りアビニョンに教皇府を置いた。
   いわば疎開先なのに、宮殿建物はバチカンに負けないくらいの壮大さ。内装もフレスコ画など豪華絢爛だったそうだ。教皇が会食する時は、贅を尽くした料理を作り、牛、豚、羊が数千頭、卵は2万9千個使われた事があるそうだ。収入源は管轄地の人々の税金だ。お金や宝飾、帳簿を保管する床下収納みたいな金庫が幾つもある。
   解説を聴くうちに、なんだか腹が立ってきた。カトリック本山のこの金満ぶり、おかしくない? 16世紀、宗教改革が起こりプロテスタントが誕生した背景は、
免罪符に象徴される金儲け主義への批判など様々あったのだろうが、度を超した贅沢ぶりも原因の一つだった事は容易に想像できる。キリスト教の教義についても、マリア様の扱い(カトリックは、日本でも「聖母マリア」と呼ぶように聖人として崇拝するが、プロテスタントは違うようだし)とか偶像崇拝禁止の考え方なども相違があるようだけど。
 

- 平成24年5月7日月曜日 16:22
アビニョン橋(Pont d'Avignon) 

 

「アビニョンの橋の上で」だったかな、歌でも有名。ローヌ川に架かる。といっても、川の途中までしかない。
   遥か昔から、幾度となくローヌ川が氾濫し、橋が壊された。修復してもまた壊れる。結局、17世紀以降は直さないまま今に至っている。

   アビニョン橋は、聖ベネゼ橋が正式な名前。1177年、羊飼いのベネゼが、ローヌ川に橋を架けるよう神のお告げを受け、建設が始まったという。


アビニョンの橋の先端から教皇庁方向

さて、ホテルの方向に戻りつつ、アビニョンの中心街をそぞろ歩きでもしよう。


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