歴史、音楽、サッカーをテーマに、ヨーロッパ各国とアメリカ各州を歩いた旅の記録です。アジアも少し歩き始めました。

ヨーロッパの旅は、バルセロナやドルトムントなど有力サッカーチームの試合観戦と古代ローマなど西洋史の舞台や遺跡を巡ります。

アメリカ各州の旅は、ポピュラー音楽を楽しみつつ、その歩みや歌詞を手掛かりに、各地の文化、歴史と触れ合います。移民大国、人種のサラダボウルと呼ばれる国、アメリカ。生み出される音楽も実に多種多様です。以下はこの旅で出会った音楽です。

country music (カントリー)、western swing (ウェスタンスウィング)、roots rock (ルーツロック)、southern rock (サザンロック)、pops (ポップス)、bluegrass music (ブルーグラス)、folk music (フォーク)、mountain music (アパラチア山脈の伝統音楽)、blues (ブルーズ)、R&B、soul music (ソウル)、Dixieland jazz (ディキシーランドジャズ)、cajun music (ケイジャン)、zydeco (ザディコ)、minstrelsy (ミンストレルシ)                      (タイトル写真) Pensacola Beach,Florida,USA
     

1/30/2016

13. 砲撃開始



- 平成28年1月30日土曜日 12:30
船はサムター要塞に約1時間停泊する。制限時間内で、要塞を見学し、博物館に入り、ギフトショップにも寄り、同じ船でチャールストンに帰る。かなり忙しい。

展示物の説明を読んでいるとすぐ時間が経ってしまう(^_^;)ネイティブの人でも時間が足りないらしいのに。

サムター要塞にある博物館(入口付近)

グレーの11州が南軍
北部の政策と対立し、1860年、サウスカロライナが真っ先に合衆国を離脱、南部の10がその後に続いた。


1861412日夜明け前、ジョンソン要塞からサムター要塞へ砲撃開始。これが南北戦争の始まりを意味していた。
南軍は34時間にわたり砲撃を続け、合衆国軍(北軍)の駐屯隊は降伏した。その後4年に亘り、南軍は占拠を続けた。





使われた砲弾 
モルタル製のシェルに黒色火薬の粉が入っている。


チャールストンの港に砲弾の音が響く
ついにルビコン川を渡った



サムターの攻防は南北戦争のシンボルとなっていた。
チャールストンは、綿花、コーン、インディゴ等の輸出と奴隷貿易で栄えた南部最大の港町。南軍はどうしても確保しておく必要があった。



南軍の手に落ちたため、チャールストン港は北軍の大西洋岸のバリケードの抜け道になり、南軍は綿花との取引でバハマ諸島から様々な武器を手に入れていた。北軍は周囲を包囲しチャールストン港の制海権を得ようと試みる。


18652月までには、北軍により解体されたも同然になり、南北戦争自体も終戦に近づいていた。













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