歴史、音楽、サッカーをテーマに、ヨーロッパ各国とアメリカ各州を歩いた旅の記録です。アジアも少し歩き始めました。

ヨーロッパの旅は、バルセロナやドルトムントなど有力サッカーチームの試合観戦と古代ローマなど西洋史の舞台や遺跡を巡ります。

アメリカ各州の旅は、ポピュラー音楽を楽しみつつ、その歩みや歌詞を手掛かりに、各地の文化、歴史と触れ合います。移民大国、人種のサラダボウルと呼ばれる国、アメリカ。生み出される音楽も実に多種多様です。以下はこの旅で出会った音楽です。

country music (カントリー)、western swing (ウェスタンスウィング)、roots rock (ルーツロック)、southern rock (サザンロック)、pops (ポップス)、bluegrass music (ブルーグラス)、folk music (フォーク)、mountain music (アパラチア山脈の伝統音楽)、blues (ブルーズ)、R&B、soul music (ソウル)、Dixieland jazz (ディキシーランドジャズ)、cajun music (ケイジャン)、zydeco (ザディコ)、minstrelsy (ミンストレルシ)                      (タイトル写真) Pensacola Beach,Florida,USA
     
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2/03/2016

21. 深夜のジャムセッション



- 平成28年2月3日水曜日 23:30





ルイジアナ州ラファイエットの夜。
Blue Moon Saloonというライブスポットに来ている。
今夜はCajun Jamという、ジャムセッションがある。
21:00開演のはずが、22:00を過ぎてもメンバーが揃わない。


23時になってようやくフルメンバーになった。
楽器でいえば、アコーディオン、フィドル、アコースティックギター、アルトサックス、ドブロギター、ウォッシュボード、ハープ(ハーモニカ)の編成。

観客はダンスを踊りながら、音楽を楽しむ。Cajun(ケイジャン) 音楽は、そもそもダンス向けの音楽なんだ。
やはりフランス系の人が多い。フランス語が飛び交っている。同じアメリカでも、他の土地ではなかなか味わえない雰囲気だ。そもそも、これを楽しみに、ジョージアから1,100㎞の距離を辿って、Cajun Countryの中心、ラファイエットまで来た我々。

Wash Board

ところで、上記のウォッシュボードとは、文字通り、洗濯板のこと。今は金属製のものを打楽器として売っている。写真のとおり、リズミカルにこする。価格は$130〜150くらい。洗濯板にしては高いが、ルイジアナ州のシンボル、ゆりの花があしらわれているのがいい。


20. Acadian(アケイディアン)の流木


- 平成28年2月3日水曜日 16:00
アメリカンルーツ音楽のバンド、The Bandに "Acadian Driftwood"(邦題「アカディアの流木」)という曲がある。

カナダからルイジアナに移民するCajun(ケイジャン)の悲惨な状況をテーマにした曲。参考になるかな・・・。

歌詞を抜粋して日本語にしてみた。ネットにも訳詩があったけど、いまいち納得できなかったので。すると、彼らの苦難の道がよく描かれたとても素晴らしい詞だった。メンバーのロビー・ロバートソンの作品らしいが、さすがです。


"Acadian Driftwood"




歌詞1
The war was over and the spirit was broken
The hills were smokin' as the men withdrew
We stood on the cliffs
Oh, and watched the ships
Slowly sinking to their rendezvous
They signed a treaty and our homes were taken
Loved ones forsaken

(フレンチ・インディアン)戦争が(1763年、仏の敗戦で)終わり、心は打ち砕かれた。
兵士達は撤退し、丘にはまだ煙がくすぶっている。
我々は断崖に立ち、船溜まりにゆっくり沈んでいく船を見つめていた。
条約にサインをした結果、我々の家は奪われた。
愛する者達は見捨てられた。


      サン・ピエール(Saint Pierre)島 (カナダ)
歌詞2
Sailed out of the gulf headin' for Saint Pierre
Nothin' to declare
All we had was gone
Broke down along the coast
But what hurt the most
When the people there said
"You better keep movin' on"

(仏の領有する)サン・ピエール島に向け湾から出帆する
何も申告するものはない
財産は全て失ってしまった。
沿岸は壊滅していた。
でも最も傷ついたのは
ここを出て行くがいいと人々が口にすることだ。

歌詞3


Everlasting summer filled with ill-content
This government had us walkin' in chains
This isn't my turf
This ain't my season
Can't think of one good reason to remain
We worked in the sugar fields up from New Orleans
It was ever green up until the floods
You could call it an omen
Points ya where you're goin'
Set my compass north
I got winter in my blood

(歌詞3の舞台はアメリカ南部ルイジアナ)

いつまでも夏が終わらず、不快感で一杯だった。
(スペイン)政府は我々を鎖で繋いで歩かせた。
ここは俺の土地じゃない。
俺の季節じゃない。
ここに残る理由など考えつかない
ニューオリーンズ北方のサトウキビ農園で働いた。
見渡すかぎり緑だった。洪水がくるまではね。
どこかへ行けというお告げに違いない。
北に進路をとろう。
俺には冬の血が流れている。




1755年に始まる英仏間の戦争(フレンチ・インディアン戦争)でのフランスの敗北により、カナダのノバスコシア地方に移り住んでいたフランス人(Acadian、アメリカでは後にCajunと呼ばれた)は国外追放された。
流木の如き流浪の民となって、同胞の多いルイジアナのニューオリーンズまで大移動したが、そこでは更なる悲劇が待っていた。


(ルイジアナの領有権について)
フランスの領土だったルイジアナは、フレンチ・インディアン戦争で敗戦の結果、スペイン領土になった。その後、ルイジアナは、再びフランス領となったが、1803年、ナポレオンはルイジアナをアメリカに売却した。歴史の教科書では「ルイジアナ買収」とか書かれていたよね。


- 平成28年2月3日水曜日 16:00








ルイジアナ州ラファイエットにあるAcadian Cultural Centerを訪ねた。歌詞の理解に役立ちそう!!
 

カナダ・ノバスコシア地方に入植したフランス人を指すフランス語"Acadien"が変化して、アメリカではCajun(ケイジャン)と呼ばれるようになった。

 道路名にも "Acadian" が使われる



ラファイエットを車で走ると、地元ではCajunという表記はあまり見られず、Acadienまたは英語風にAcadianという表記が使われている。



1760年代、西インド諸島、フォークランド諸島等を経由して、多くのAcadian(アケイディアン)がニューオリンズとモビール(アラバマ州)に到達した。

これほど離れた異国の土地で、一体どんな希望が描けるだろうか。スペイン政府は彼らをカトリック教徒の友人として歓迎した。彼らを未開の原野に定住させた。

受け入れでもらえただけでも、ルイジアナはまだマシだったのかもしれない。他の地域ではもっと悲惨な状況が・・・。





アメリカ東海岸にも多くのAcadianが船でたどり着いたが、入国を拒否され、多くの死者を出した。

バージニア州では、1,500名が下船を拒否され、イギリスの野営地に送還された。
ジョージア州では、100名がボートで逃げる途中に死亡、残る200名は使用人として売られた。



説明を追加
ルイジアナに着いたAcadianを待っていたのは、 木の生えない草原(プレーリー)と湿地だった。



自然火災とクレー土が木の生えない土地を造った。湾岸の草は1.8mの高さに育っていた。
彼らには、米作を継続できる土地は全く残っていなかった。













沼のカニ、ザリガニやワニを食料にした。












ケイジャン(Cajun)音楽および派生音楽のザディコ(Zydeco)は、伝統音楽やフランスのフォークソング、バラード、ケルト人の宴会ソングそして仏Breton地方の船乗りの唄などが、他の音楽との出会いを通じて発展した音楽である。





1880年代、ドイツ人がアコーディオンをルイジアナに持込んだ。


フィドルとアコーディオン
バンジョーとウォッシュボード








ザリガニのレース?とはびっくり。周囲は沼地ばかりのルイジアナ。ザリガニやワニしかいないのでやむを得ないね。
Mardi gras はCajunの行事だった。

アフリカから連れて来られた黒人たちは勿論のこと、以前訪れたアパラチア山麓に新天地を求めたスコッチ・アイリッシュや追放されてここルイジアナに入植したフランス人たち。彼らには、一体どれだけの苦難がたちはだかったのだろう。想像を絶する。

黒人たちのブルース音楽、アイルランド移民のマウンテンミュージックにフランス移民のケイジャン音楽。共通して言えるのは、彼らには独自の音楽文化があり、苦しい日々を生きる支えになっていたこと。


2/02/2016

18. Mardi gras(マルディグラ)



- 平成28年2月2日火曜日 19:00
ルイジアナ州ニューオリーンズ




娘とニューオリーンズに行くというと、忠告を受けた。Mardi gras(マルディグラ)の日は "Stay away from Bourbon Street" (バーボン・ストリートに近づくな) ということらしい。
2016年のニューオリーンズのマルディグラは2月9日。

Mardi gras(マルディグラ)の衣装

なんでも、当日はマスクを被って乱痴気騒ぎ。ドラッグが蔓延し、風紀は乱れ、翌朝はゴミだらけになるらしい。リオのカーニバル並み?? 
マルディグラは各国で行われているが、ニューオーリンズのお祭りは世界で一番派手らしい。

マスク




Mardi gras(マルディグラ)はフランス語。直訳すると「太った火曜日」(Fat Tuesday)という意味だ。

元々は、カトリックの行事から来ているらしい。彼らは、イースター(キリストの復活)の40日前から肉を食べないなどストイックな生活に入る。その直前の火曜日がMardi gras。翌日からは痩せていくという意味だ。だからこの日だけは羽目をはずしてもOKということなのかな。


南部のアメリカ人は、プロテスタント(特にバプティスト)が多い。しかし、ルイジアナ州に多いケイジャン(cajun フランス人移民としてルイジアナに来た人々)はカトリック教徒だったので、Mardi grasのルーツは彼らのようだ。


バーボン・ストリート(New Orleans)

現地に着いた日は、Mardi gras(マルディグラ)の1週間前。すでにバーボン・ストリート(Bourbon Street)はMardi gras の雰囲気だ。
この通りは、Jazz、Soul、Blues、Cajun 、Zydeco等様々な音楽のクラブが軒を並べる観光地。いろんなスパイスが混じってるBBQソースのような濃厚なエリアだ。


Cajun とZydecoの音楽クラブ
Cajun(ケイジャン)音楽は、フランス移民Cajun達がアコーディオン、フィドル、ギターなどで演奏するダンス音楽。パーカッションとしてWash Board(洗濯板)が使われる。

Zydeco(ザディコ)は、黒人音楽とCajun音楽とが融合した音楽。楽器編成はCajun音楽に似ているから区別がつかないこともある。

ディキシーランド ・ジャズのメッカ Preservation Hall

ライブ演奏のスケジュール


Bourbon といえばアメリカンウィスキーの事だが、元々はブルボンというフランス人の名前。


ビーズやマスクを売るギフトショップ 

ビーズ投げ(ベランダから男が女に向かってビーズのネックレスを投げる習慣)はもう始まっている。


ベランダからビーズ投げに興じる人々




ビーズを拾う女性

ホテルのパティオ
St.Ann通りに面したこのホテル。古いレンガ造りの外観だが、パティオ(中庭)が素晴らしかった。

この辺りは、スペイン領時代の名残りからか素敵なパティオのある建物が多い。通りからはわからないので、それをチェックしてから宿泊先を決めるのがいいと思う。

1/28/2016

9. H&Hのソウルフード

- 平成28年1月25日月曜日 14:30

H&H レストラン



H&H はメーコンにあるソウルフードのレストラン。
写真の女性シェフは、売れない時代のAllman Bros. Bandのメンバーを食事で支えた。メンバーも恩義に感じ、ツアーシェフとして帯同してもらったらしい。



バンドとの交流がうかがえる

ソウルフード-1 
オクラとトマトのスープ フライドチキン

ソウルフード-2
ミートローフとコーンブレッド

若き日のデュアン・オールマン



1/26/2016

2. T-bone (ティーボーン)


- 平成28年1月22日金曜日 16:50

テキサス州出身のブルースマンといえば、まず思い浮かぶのがT-bone Walker。1950〜60年代に活躍したシンガー兼ギタリスト。
ブルースのレジェンド達は、ミシシッピ川のデルタ出身と思いがちだが、テキサス人もいる。
彼の代表曲「Stormy Monday」(嵐の月曜日)は、ブルースの定番中の定番。先日亡くなったブルースの王様 BB.King  やAllman Bros. Bandも演奏している。

(Wiki 日本語版より)

T-ボーン・ウォーカー (T-Bone Walker, 1910年5月28日 - 1975年3月16日)は、アメリカ合衆国テキサス州出身のブルース・ギタリスト、シンガー。本名は、アーロン・ティーボー・ウォーカー。ブルースにエレキギターを持ち込んだ最初の人物と言われており、モダン・ブルース・ギターの父とも称される。彼の代表曲"Stormy Monday"はブルースのスタンダートとして知られるようになった。


"Stormy Monday"

By Allman Bros. Band







その名の由来、T-bone ステーキがこちら。


T-bone steak

T字の骨に、フィレ(写真の左側)とサーロイン(右側)がくっついていて、両方の肉が味わえるという贅沢なステーキ。


テキサスに着いたら絶対にT-boneを食べようと思っていたけど、フォートワース近郊の観光地Stock Yardのレストランのメニューに発見! 10-11オンスと書いてあったから、300gはあるはず。一気に肉の味を堪能すると、後には満足感ともにT字の骨が残った。ステーキソースなどいらないね。 19ドルでした。



 "JONAS"というStorm が襲来する!!


ところで、天気予報では、明日土曜日は大型の低気圧がアメリカ東部に襲来し、"Stormy Saturday" になるようだ。ジヨージア行きの飛行機、飛んでくれるかなあ?

7/17/2015

34. Gone with the Wind


 平成27年7月14日火曜日 15:57

アトランタ歴史博物館(Atlanta History Museum)を見学して、南北戦争についてにわか勉強した後、マーガレット・ミッチェル・ハウスに到着。

Margaret Mitchell House
マーガレット・ミッチェルは、アトランタの中心部にあるこの家で Gone With The Wind (風と共に去りぬ)を執筆した。

Gone With The Wind (風と共に去りぬ)は、南北戦争時代のジョージア州を舞台にしたマーガレット・ミッチェルのベストセラー小説。ビビアン・リー主演で映画になったし、日本でも有名。僕も映画で見ました。

係員が展示物を説明するミニツアーに参加する。参加者は15人くらい。ドイツからきた女性もいるし、ブラジルからは子供連れの家族。グローバルだ。ここは、日本代表で頑張らねば。



マーガレットは、アトランタに生まれた。歴史好きの父親の影響で、小さい頃から母親にこの戦争の話をよく聞かされており、熱心な読書家でもあった。それがこの小説を書く契機になったらしい。


ちなみに主人公スカーレット・オハラ(Katie Scarlett O'Hara)はジョージア州の「タラ」という町で育った設定だが、これは、架空の町。
オハラ(O'Hara)は、アイルランド移民の苗字だが、「タラ」もアイルランドには実在するらしい。

映画に出てくるタラのセットは、カリフォルニアで建てられた

小説の背景になっている南北戦争 (The Civil War) は、19世紀半ば、アメリカ合衆国内が二つに分裂して戦った内戦。奴隷解放について考えの違いから、北部対南部という構図になった。犠牲者はアメリカの戦史上最多。第二次大戦の死者より多い67万人にのぼる。



 


南軍旗 通称Dixie Cross

北部州の思惑 
工業化が進みつつあり、南部の
奴隷を解放して労働力にしたい。イギリス製品と競合するため、関税は高くして貿易を保護したい。
南部州の思惑
奴隷制を維持して綿花畑等で働かせたい。綿花をイギリスに輸出し、製品はイギリスから購入するから、自由貿易でいい。

1860年、奴隷解放を政策とするリンカーンが大統領に当選したのを契機に、南部に不安が高まり、南部の州は次々とアメリカ合衆国を離脱し、アメリカ連合国(Confederate States of America)という別の国を宣言した。



リンカーンが大統領に就任した1861年、綿花等の輸出港だった東海岸のチャールストン沖に合衆国が築いていたサムター要塞を、南部諸州が攻撃し占領したことから始まった。


下図は、重要な戦場を示した地図。



                  ⬇
南北戦争の主な戦場
拡大図(別ページが開きます)
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=zgdrMvkciFqM.k3ZxDrYb8fS8&usp=sharing

合衆国軍(北軍. Union)は、1863年南部への玄関口チャタヌーガの戦い(地図の緑色)でアメリカ連合国(南軍)に勝利し、翌1864年南下してアトランタ(地図の水色)を攻撃する。

チャタヌーガは、テネシー川の水運の拠点であり、南部の入口にあたる好立地。
アトランタは、南部の鉄道網のハブ駅で、物資輸送の要所だった。

偶然にも先日、僕はアトランタからチャタヌーガへ向かったが、シャーマン将軍率いる北軍は、その逆の経路を進攻したことになる。

作品では、アトランタが陥落して炎に包まれるシーンがあるが、この1864年の出来事。

その後、シャーマン将軍率いる北軍は、ジョージアを東海岸のサバンナ(Savannh)まで破壊の限りをつくして進撃し(Sherman's March to the sea through Georgia)、州内は焦土と化した。

1865年4月、南軍の首都バージニア州リッチモンドが陥落、続くアポマトックスで南軍のリー将軍は降伏。北軍の勝利に終わる。





 
The bandの曲に"The Night They Drove Old Dixie Down"という名作がある。リッチモンドが北軍に陥落する時を取り上げた曲なので、参考にしてみたい。




"The Night They Drove Old Dixie Down"

Virgil Kane is the name

And I served on the Danville train

'Till Stoneman's cavalry came

And tore up the tracks again

In the winter of '65

We were hungry, just barely alive

By May the 10th, Richmond had fell

It's a time I remember, oh so well

The night they drove old Dixie down

And the bells were ringing


俺の名前は、バージル・ケイン

ダンビル鉄道で働いていた。

ストーンマンの部隊がやって来て

軌道を根こそぎ破壊するまではね。


1865年冬、俺たちは、腹をすかして

かろうじて生きていた。

5月10日までに、リッチモンドが北軍の手に落ちた。

いまでもよく覚えているよ。


あの夜ユニオンは、ディキシーを追い払ったんだ。

ベルが鳴り続けていた。



wikiによると、歌詞にでてくるストーンマンとは、George Stoneman, Jr.という北軍の陸軍指揮官で、北軍のシャーマン将軍の指揮下にいた人物らしい。
The band の曲、The Night They Drove Old Dixie Down との関係も書いてあった。


Wikiより抜粋

George Stoneman, Jr. (August 8, 1822 – September 5, 1894) was a United States Army cavalry officer,
(中略)
While commanding cavalry under William Tecumseh Sherman in Georgia, Stoneman was captured, but soon exchanged. In the last weeks of the war, he led raids into Virginia that inspired the song "The Night They Drove Old Dixie Down" by the Band.

さて、南軍の敗因だが、その一つとして、もともとあまり準備なしに戦いに突入してしまったようだ。しかし、綿花輸出の相手国イギリス、フランスがきっと南部を支援してくれると楽観視していたらしい。ところが、両国は、綿花の輸入先をインドや中東に切り替えてしまった。


ところで、今でも、南部を車で走っていると、南軍旗をみかける事がある。ミシシッピー州は、州旗に南軍旗が入っているからびっくり!(◎_◎;) 


ミシシッピー州旗
 マーガレット・ミッチェル・ハウスを後にして、次は、アトランタで牧師をしていたキング牧師ゆかりの地を訪ねよう・・・としたが、時間切れでした。



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