歴史、音楽、サッカーをテーマに、ヨーロッパ各国とアメリカ各州を歩いた旅の記録です。アジアも少し歩き始めました。

ヨーロッパの旅は、バルセロナやドルトムントなど有力サッカーチームの試合観戦と古代ローマなど西洋史の舞台や遺跡を巡ります。

アメリカ各州の旅は、ポピュラー音楽を楽しみつつ、その歩みや歌詞を手掛かりに、各地の文化、歴史と触れ合います。移民大国、人種のサラダボウルと呼ばれる国、アメリカ。生み出される音楽も実に多種多様です。以下はこの旅で出会った音楽です。

country music (カントリー)、western swing (ウェスタンスウィング)、roots rock (ルーツロック)、southern rock (サザンロック)、pops (ポップス)、bluegrass music (ブルーグラス)、folk music (フォーク)、mountain music (アパラチア山脈の伝統音楽)、blues (ブルーズ)、R&B、soul music (ソウル)、Dixieland jazz (ディキシーランドジャズ)、cajun music (ケイジャン)、zydeco (ザディコ)、minstrelsy (ミンストレルシ)                      (タイトル写真) Pensacola Beach,Florida,USA
     

1/30/2016

14. チャールストン(Charleston)




- 平成28年1月30日土曜日 14:00

サムター要塞から戻り、チャールストンの街を散策する。



チャールストンは、市の人口12万人、周辺の都市圏全体で66万人規模。地理的には、2つの川に挟まれ海に突き出た半島にある港町。沖にあるのがサムター要塞。

昨日立寄ったサバンナと同様、綿花輸出と奴隷貿易で栄えた古都である。

まずは、シティー・マーケットと呼ばれる市場に向かった。市場の歴史は古く、開設は1807年に遡る。当初は野菜や肉が中心だったらしいが、今は、アクセサリーや日常品、食料はお菓子や調味料などが多い。

シティー・マーケット(チャールストン)

土曜日ということもあり、マーケットには大勢の人が繰り出す。市場の周りには、港町らしくカニやオイスターのシーフードレストランが軒を並べる。


St.Phillip's 教会
フレンチプロテスタント教会(1845)



住宅街の石畳(チャールストン)



サウスカロライナ州のシンボルは、パイナップルとパームツリー(パルメットヤシ)。至る所で見かける。

パイナップルは、漁師が無事に帰宅した事を伝えるため、妻が玄関先に吊るす習慣があったそう。昔は輸送手段が乏しく、パイナップルは高級な果物だったそうだ。



落ち着いた町並み(チャールストン)



パームツリー(パルメットヤシ)が茂る

サウスカロライナ州旗もパームツリー(パルメットヤシ)
南部の州旗は、南北戦争時代の南軍旗のデザインを生かした州がある中、サウスカロライナ州は、とても特徴あるデザイン。

三日月は、イスラム教とは全く関係なし。首の周りに取付た防具の形らしい。

ウォーターフロント公園(チャールストン)


13. 砲撃開始



- 平成28年1月30日土曜日 12:30
船はサムター要塞に約1時間停泊する。制限時間内で、要塞を見学し、博物館に入り、ギフトショップにも寄り、同じ船でチャールストンに帰る。かなり忙しい。

展示物の説明を読んでいるとすぐ時間が経ってしまう(^_^;)ネイティブの人でも時間が足りないらしいのに。

サムター要塞にある博物館(入口付近)

グレーの11州が南軍
北部の政策と対立し、1860年、サウスカロライナが真っ先に合衆国を離脱、南部の10がその後に続いた。


1861412日夜明け前、ジョンソン要塞からサムター要塞へ砲撃開始。これが南北戦争の始まりを意味していた。
南軍は34時間にわたり砲撃を続け、合衆国軍(北軍)の駐屯隊は降伏した。その後4年に亘り、南軍は占拠を続けた。





使われた砲弾 
モルタル製のシェルに黒色火薬の粉が入っている。


チャールストンの港に砲弾の音が響く
ついにルビコン川を渡った



サムターの攻防は南北戦争のシンボルとなっていた。
チャールストンは、綿花、コーン、インディゴ等の輸出と奴隷貿易で栄えた南部最大の港町。南軍はどうしても確保しておく必要があった。



南軍の手に落ちたため、チャールストン港は北軍の大西洋岸のバリケードの抜け道になり、南軍は綿花との取引でバハマ諸島から様々な武器を手に入れていた。北軍は周囲を包囲しチャールストン港の制海権を得ようと試みる。


18652月までには、北軍により解体されたも同然になり、南北戦争自体も終戦に近づいていた。













12. サムター要塞(Fort Sumter)



- 平成28年1月30日土曜日 10:37








昨夜はサバンナから1時間半ドライブで、サウスカロライナ州チャールストンに到着。今朝は、チャールストン沖合にあるサムター要塞(Fort Sumter)へ向かうため、チャールストンの湾岸エリアへ。

途中、南部最古のアフリカ系メソジスト教会、Emanuel African Methodist Episcopal Churchを通過する。
昨年6月17日、白人青年が教会内で銃を乱射し、男女9名が犠牲になった教会だ。
Emanuel African Methodist Episcopal Church



サムター要塞行きの船着場に到着



11:00発の船に乗船。船室では、レンジャーハットの男性がサムター要塞の歴史を説明してくれる。

サムター要塞は、南北戦争(American Civil War)が始まった場所。アメリカ人なら誰もが歴史で習う。

アメリカ合衆国が外敵からの防衛のため、チャールストン沖に設けていた砲台、サムター要塞。

1861年、合衆国に反旗を翻した南部の諸州が要塞を砲撃し、占拠したことで、アメリカ最大の内戦、南北戦争が始まった。

1868年、日本でも内戦が勃発した。旧幕府軍の軍艦2隻が薩摩藩の軍艦を砲撃し、いわゆる戊辰戦争が始まった。

ほぼ同時代に起きた2つの内戦。日米ともに旧守派が敗北したのはただの偶然だろうか。



サムター要塞
約30分でチャールストン沖のサムター要塞に着岸。思ったほど広く無い。東京湾に作られた砲台、「お台場」と同じくらいでは?
旧第三台場(台場公園HPより)

サムター要塞からチャールストン側を望む

遠くに見えるモーリス島から、南軍が要塞に砲撃した。




1/29/2016

11. サバンナ(Savannah)




- 平成28年1月29日金曜日 08:50

ジョージア州サバンナ(Savannah)とサウスカロライナ州チャールストン(Charleston)、どちらの都市も日本での知名度は限りなくゼロに近い。

しかし、いずれも米国内の旅行先ベスト25(出典Trip Advisor)にランクインしている。特にチャールストンは、NYC、シカゴに次いで第3位。西海岸の都市やホノルルより上位なのはなぜ ?  行って確かめたいと思う。


アメリカ東南部




朝9時前にミドルジョージアを出発して、インターステート16号をひたすら東へ。





道中は、Stateboroという町が少し目立つ程度で、退屈なドライブ。お昼前にはサバンナ市内に入る。

Statesboro方面との分かれ道

ちなみに、デュアン・オールマン(Allman bros. band)と彼のスライド・ギターを一躍有名にした曲、Statesboro Blues はこの町に由来する。



- 平成28年1月29日金曜日 11:58

サバンナの中心街、ベイストリート
ジョージア州サバンナ(Savannah)に入った。この街は綿花・コーンの輸出と奴隷貿易で栄えた港湾都市。人口は約40万人。

とりあえず、ランチの場所を探そう。

リバーストリート

サバンナを流れるサバンナ川河口は、リバーストリートといい、いかにも南部らしい店名のシーフードレストランやキャンディーストア、土産物店が立ち並ぶ。そぞろ歩きにもピッタリ。


1819年、蒸気船サバンナ号は、初めて大西洋を渡りリバプールに到着した。
1834年、ジョン・ランドルフ号は鋼製の蒸気商船として初めてこのハーバーで進水した。

サバンナ川のジョージア・クイーン号



フィドラーズ ・クラブハウス 

バイユー・カフエ



(上)Seafood Gumbo    $11.95   
(下)Low Country Boil $13.95
 +Tax7.64% 
キャンディー・ショップ



サバンナの中心街
高層ビルもなく、落ち着いた古都だ。

メソディスト派の創設者 ジョン・ウェスリー 


食後に街歩きをした後、ビジターセンターに到着。ここでは、ツアーバスに乗り込む。古都サバンナならでは名所、古い邸宅の数々を100分で案内してくれる。




チッペワ・スクエア (Chippewa Square)
トム・ハンクス主演の映画「フォレスト・ガンプ」の冒頭、公園で物語るシーンは、ここサバンナのChippewa Squareで撮影された。ただ、例のベンチは撮影用に設置されたもので、ここには無い。


フォレスト・ガンプのそっくりさんが登場

2009年に発売され大ヒットした、カントリーシンガー兼ギターの名手ブラッドペイズリー(Brad Paisley)のアルバム"American Saturday Night"。
"It's a french kiss, italian ice 
Spanish moss in the moonlight 
Just another American Saturday night"

これは、そのタイトル曲"American Saturday Night"のサビの部分の詞。
Spanish mossは木の種類らしいけど、「月明かりのSpanish moss」のイメージが湧かなかった。

Spanish Moss

サバンナは、至る所、苔が垂れ下がったような街路樹に覆われている。Spanish Moss(スパニッシュ・モス )とは、サバンナ名物のこの木の名前だった。

光を透過するこの木は、独特の雰囲気を醸し出している。月明かり (moonlight)ではもっと幻想的な姿になるだろうね。
百聞は一見に如かずとはこの事でした。


シティー・マーケット地区

予定時間をオーバーしたツアーが終了。夜は、週末で賑わうシティー・マーケット地区を少し探検して、次の目的地、サウスカロライナ州チャールストンに向かう。










10. 北部と南部の境界線


- 平成28年1月29日金曜日 08:40
アメリカ南部、ジョージア州東海岸の都市サバンナ(Savannah)とサウスカロライナ州チャールストン(Charleston)に向け出発


アメリカの東海岸(イーストコースト)といえば、ニョーヨークやボストンという北部の都市が思い浮かぶ。でも東海岸の海岸線は長い。南はフロリダ半島の先端まで続く地図がこの画面に入りきらない (^^;

アメリカの東海岸


その南部だけど、北部との境界は線が引かれていて、地理上も明確に分けられている。
上の地図で、ペンシルバニア州とメリーランド州の境界線が横一線になっている部分がある。この線をメイソン・ディクソン・ライン(Mason-Dixon Line)といい、その線より南が南部と呼ばれる。

Mason-Dixon Line (Wikiより)
僕が知ったのは歌詞からだった。Mason-Dixon lineは、アメリカ南部が舞台の歌詞に時折出てくる言葉だから。

ナッシュビルのシンガー兼ギタリストであるVince Gillは、軽快なロックンロール曲、"South Side Of Dixie"の中で、
"a woman down below the Mason-Dixon line"と歌っている。

"South Side Of Dixie" by Vince Gill

You know I'm about to lose my mind 
I got a woman down below the Mason-Dixon line 
She deals the cards awful good to me 
She's a blackjack dealer on the Delta Queen 


また、グラミーウィナーの3人組LADY ANTEBELLUMの曲で、故郷から旅立つ娘の心情を歌う "Home Is Where The Heart Is"の詩にも登場する


"Home Is Where The Heart Is"  by LADY ANTEBELLUM
Mama said home is where the heart is
When I left that town
I made it all the way to West Virginia
And that's where my heart found
Exactly where I'm supposed to be
It didn't take much time
It's just south of the Mason-Dixon line

1/28/2016

9. H&Hのソウルフード

- 平成28年1月25日月曜日 14:30

H&H レストラン



H&H はメーコンにあるソウルフードのレストラン。
写真の女性シェフは、売れない時代のAllman Bros. Bandのメンバーを食事で支えた。メンバーも恩義に感じ、ツアーシェフとして帯同してもらったらしい



バンドとの交流がうかがえる

ソウルフード-1 
オクラとトマトのスープ フライドチキン

ソウルフード-2
ミートローフとコーンブレッド

若き日のデュアン・オールマン