歴史、音楽、サッカーをテーマに、ヨーロッパ各国とアメリカ各州を歩いた旅の記録です。アジアも少し歩き始めました。

ヨーロッパの旅は、バルセロナやドルトムントなど有力サッカーチームの試合観戦と古代ローマなど西洋史の舞台や遺跡を巡ります。

アメリカ各州の旅は、ポピュラー音楽を楽しみつつ、その歩みや歌詞を手掛かりに、各地の文化、歴史と触れ合います。移民大国、人種のサラダボウルと呼ばれる国、アメリカ。生み出される音楽も実に多種多様です。以下はこの旅で出会った音楽です。

country music (カントリー)、western swing (ウェスタンスウィング)、roots rock (ルーツロック)、southern rock (サザンロック)、pops (ポップス)、bluegrass music (ブルーグラス)、folk music (フォーク)、mountain music (アパラチア山脈の伝統音楽)、blues (ブルーズ)、R&B、soul music (ソウル)、Dixieland jazz (ディキシーランドジャズ)、cajun music (ケイジャン)、zydeco (ザディコ)、minstrelsy (ミンストレルシ)                      (タイトル写真) Pensacola Beach,Florida,USA
     

2/05/2016

23. メキシコ湾岸を東へ


- 平成28年2月4日木曜日 15:10

ルイジアナ州を後に帰路東に向かう。

行きとはルートを少し変えて、できるだけメキシコ湾岸を東に向け走ってみることにした。
ミシシッピ州、アラバマ州を通りフロリダ州ペンサコウラを目指す。


メキシコ湾



メキシコ湾岸を東へ向かうルート
1. ミシシッピ州の海岸線

ミシシッピ州に入る


I-10(インターステートハイウェイ10号線)をルイジアナ州から東に走りミシシッピ州に入った。I-10から南に迂回して州道90号線に入る。


Mississippi Gulf Coast

ミシシッピ湾の沿岸ギリギリを走る90号線。車窓からみる海と白砂のビーチは絶景。ここのビーチの周辺には大きな街が無く、人も少ないので穴場だと思う。


ミシシッピ州のビーチ沿いを走る90号線
(パス・クリスチャン付近)


ミシシッピ湾岸の町



90号線からミシシッピー湾を望む
                               

2. アラバマ州の湾岸



レイナード・スキナードの曲 "Sweet Home Alabama"は、
アラバマ州のキャッチフレーズになっている。


再び1-10 に戻り、アラバマ州に入る。



Mobileのダウンタウン
- 平成28年2月5日金曜日 10:15


アラバマ州Mobile市で一泊し、翌朝フロリダ州ペンサコウラに向けて走る。行きに通ったアラバマ州の内陸部モントゴメリーは、日中も車が少なく活気がない街だったが、メキシコ湾岸のMobile市は車も多く活発。

Mobleの発音について娘と議論になる。

そこで問題です。
Mobleの発音(最も近い日本語表記)は次のどれでしょう?  

1.モーバル (モにアクセント)
2.モビール (ビにアクセント)
3.モバイル (バ にアクセント)
戦艦アラバマ(Mobile, AL) 第二次大戦後退役


正解は 2 !!


普通は1のアクセント。普通名詞や形容詞で使われる。
ところが、"Mobile"という都市名になると2のアクセントになる。
 3.はイギリス系のアクセント。

同じスペルでもアクセントはいろいろ(◎_◎)

3. フロリダ北西部の海岸線


アラバマ州モビールからフロリダ州ペンサコウラへ


翌朝、アラバマ州モビール(Mobile)を出発し、すぐ隣りのフロリダ州北西部ペンサコウラ(Pensacola)に向かう。
フロリダ州は半島を南へ下るのもいいが、北西部にも白砂の素晴らしいビーチがある。この海岸線は道路が海のすぐ脇を通ってるし。







フロリダ州ペンサコウラ(Pensacola)のウェルカムセンターに立ち寄る。ビーチが有名だが、ダウンタウンのショッピングも楽しいらしい。
 


ペンサウコラ・ビーチ




とにかくながーい砂浜  

夏のビーチはカニがたくさん出没するらしい。


釣り客向けに桟橋もある

さて、この夜、ジョージアに帰りつきました。
読んでいただいた皆さん どうもありがとう。

2/04/2016

22. 恐るべし 日本の楽器メーカー


- 平成28年2月4日木曜日 11:15


今朝は、ラファイエット(ルイジアナ州)にある楽器店に来ている。

日本人が知っているアメリカのピアノといえば、スタインウェイ(Steinway and Sons)。それ以外は知られていないが、ラファイエットの器店には、下の写真のとおり、他のアメリカのピアノが置いてあった。

ピアニストでもある娘の話では、日本のピアノより「重くて柔らかい感じ」で、好きな音だという。



Wm.Knabe and Co (メリーランド州ボルチモア )



Mason and Hamlin(ボストン)



Baldwin(オハイオ州シンシナティ)

歴史を遡れば、アメリカの鍵盤楽器には、ドイツ移民が貢献してきた(*)。ピアノのスタインウェイ(Steinway)、ウィルヘルム(Wm.Knabe and Co, 写真)、キーボードのウーリッツァー(Wurlitzer)などがそう。

 (*)  鍵盤以外でも、ギターの名器、D45やD28で有名なギターメーカー、マーチン(Martin )、リンゴ・スター、ジョー・ボーナム、私(笑) など多くのドラマーに愛される打楽器メーカー、ラディック(Ludwig)などもドイツ系のアメリカンブランド。



しかし現在はどうかというと、日本の楽器メーカーが圧倒している。ルイジアナの小都市ラファイエットでも日本製が目につく。ヤマハ製のピアノは勿論、シンセサイザーなどは殆ど日本製だ。

ちなみに、ヤマハ製ピアノの世界シェアは33%、電子キーボード(エレピ、シンセ)はなんと49%だという(2010年 ヤマハ楽器の公表データ)。

ピアノはカワイ製もあるし、電子キーボードに至っては、他の有力メーカー(カシオ、ローランド、コルグ)を加えると日本メーカーの寡占状態らしい

質の高さはアメリカでも評価が定着しており、日本車のそれによく例えられている。マーケットシェアは日本車以上だろう。日本の楽器メーカー恐るべし。



2/03/2016

21. 深夜のジャムセッション



- 平成28年2月3日水曜日 23:30





ルイジアナ州ラファイエットの夜。
Blue Moon Saloonというライブスポットに来ている。
今夜はCajun Jamという、ジャムセッションがある。
21:00開演のはずが、22:00を過ぎてもメンバーが揃わない。


23時になってようやくフルメンバーになった。
楽器でいえば、アコーディオン、フィドル、アコースティックギター、アルトサックス、ドブロギター、ウォッシュボード、ハープ(ハーモニカ)の編成。

観客はダンスを踊りながら、音楽を楽しむ。Cajun(ケイジャン) 音楽は、そもそもダンス向けの音楽なんだ。
やはりフランス系の人が多い。フランス語が飛び交っている。同じアメリカでも、他の土地ではなかなか味わえない雰囲気だ。そもそも、これを楽しみに、ジョージアから1,100㎞の距離を辿って、Cajun Countryの中心、ラファイエットまで来た我々。

Wash Board

ところで、上記のウォッシュボードとは、文字通り、洗濯板のこと。今は金属製のものを打楽器として売っている。写真のとおり、リズミカルにこする。価格は$130〜150くらい。洗濯板にしては高いが、ルイジアナ州のシンボル、ゆりの花があしらわれているのがいい。


20. Acadian(アケイディアン)の流木


- 平成28年2月3日水曜日 16:00
アメリカンルーツ音楽のバンド、The Bandに "Acadian Driftwood"(邦題「アカディアの流木」)という曲がある。

カナダからルイジアナに移民するCajun(ケイジャン)の悲惨な状況をテーマにした曲。参考になるかな・・・。

歌詞を抜粋して日本語にしてみた。ネットにも訳詩があったけど、いまいち納得できなかったので。すると、彼らの苦難の道がよく描かれたとても素晴らしい詞だった。メンバーのロビー・ロバートソンの作品らしいが、さすがです。


"Acadian Driftwood"




歌詞1
The war was over and the spirit was broken
The hills were smokin' as the men withdrew
We stood on the cliffs
Oh, and watched the ships
Slowly sinking to their rendezvous
They signed a treaty and our homes were taken
Loved ones forsaken

(フレンチ・インディアン)戦争が(1763年、仏の敗戦で)終わり、心は打ち砕かれた。
兵士達は撤退し、丘にはまだ煙がくすぶっている。
我々は断崖に立ち、船溜まりにゆっくり沈んでいく船を見つめていた。
条約にサインをした結果、我々の家は奪われた。
愛する者達は見捨てられた。


      サン・ピエール(Saint Pierre)島 (カナダ)
歌詞2
Sailed out of the gulf headin' for Saint Pierre
Nothin' to declare
All we had was gone
Broke down along the coast
But what hurt the most
When the people there said
"You better keep movin' on"

(仏の領有する)サン・ピエール島に向け湾から出帆する
何も申告するものはない
財産は全て失ってしまった。
沿岸は壊滅していた。
でも最も傷ついたのは
ここを出て行くがいいと人々が口にすることだ。

歌詞3


Everlasting summer filled with ill-content
This government had us walkin' in chains
This isn't my turf
This ain't my season
Can't think of one good reason to remain
We worked in the sugar fields up from New Orleans
It was ever green up until the floods
You could call it an omen
Points ya where you're goin'
Set my compass north
I got winter in my blood

(歌詞3の舞台はアメリカ南部ルイジアナ)

いつまでも夏が終わらず、不快感で一杯だった。
(スペイン)政府は我々を鎖で繋いで歩かせた。
ここは俺の土地じゃない。
俺の季節じゃない。
ここに残る理由など考えつかない
ニューオリーンズ北方のサトウキビ農園で働いた。
見渡すかぎり緑だった。洪水がくるまではね。
どこかへ行けというお告げに違いない。
北に進路をとろう。
俺には冬の血が流れている。




1755年に始まる英仏間の戦争(フレンチ・インディアン戦争)でのフランスの敗北により、カナダのノバスコシア地方に移り住んでいたフランス人(Acadian、アメリカでは後にCajunと呼ばれた)は国外追放された。
流木の如き流浪の民となって、同胞の多いルイジアナのニューオリーンズまで大移動したが、そこでは更なる悲劇が待っていた


(ルイジアナの領有権について)
フランスの領土だったルイジアナは、フレンチ・インディアン戦争で敗戦の結果、スペイン領土になった。その後、ルイジアナは、再びフランス領となったが、1803年、ナポレオンはルイジアナをアメリカに売却した。歴史の教科書では「ルイジアナ買収」とか書かれていたよね。


- 平成28年2月3日水曜日 16:00








ルイジアナ州ラファイエットにあるAcadian Cultural Centerを訪ねた。歌詞の理解に役立ちそう!!
 

カナダ・ノバスコシア地方に入植したフランス人を指すフランス語"Acadien"が変化して、アメリカではCajun(ケイジャン)と呼ばれるようになった。

 道路名にも "Acadian" が使われる



ラファイエットを車で走ると、地元ではCajunという表記はあまり見られず、Acadienまたは英語風にAcadianという表記が使われている。



1760年代、西インド諸島、フォークランド諸島等を経由して、多くのAcadian(アケイディアン)がニューオリンズとモビール(アラバマ州)に到達した。

これほど離れた異国の土地で、一体どんな希望が描けるだろうか。スペイン政府は彼らをカトリック教徒の友人として歓迎した。彼らを未開の原野に定住させた。

受け入れでもらえただけでも、ルイジアナはまだマシだったのかもしれない。他の地域ではもっと悲惨な状況が・・・。





アメリカ東海岸にも多くのAcadianが船でたどり着いたが、入国を拒否され、多くの死者を出した。

バージニア州では、1,500名が下船を拒否され、イギリスの野営地に送還された。
ジョージア州では、100名がボートで逃げる途中に死亡、残る200名は使用人として売られた。



説明を追加
ルイジアナに着いたAcadianを待っていたのは、 木の生えない草原(プレーリー)と湿地だった。



自然火災とクレー土が木の生えない土地を造った。湾岸の草は1.8mの高さに育っていた。
彼らには、米作を継続できる土地は全く残っていなかった。













沼のカニ、ザリガニやワニを食料にした。












ケイジャン(Cajun)音楽および派生音楽のザディコ(Zydeco)は、伝統音楽やフランスのフォークソング、バラード、ケルト人の宴会ソングそして仏Breton地方の船乗りの唄などが、他の音楽との出会いを通じて発展した音楽である。





1880年代、ドイツ人がアコーディオンをルイジアナに持込んだ。


フィドルとアコーディオン
バンジョーとウォッシュボード








ザリガニのレース?とはびっくり。周囲は沼地ばかりのルイジアナ。ザリガニやワニしかいないのでやむを得ないね。
Mardi gras はCajunの行事だった。

アフリカから連れて来られた黒人たちは勿論のこと、以前訪れたアパラチア山麓に新天地を求めたスコッチ・アイリッシュや追放されてここルイジアナに入植したフランス人たち。彼らには、一体どれだけの苦難がたちはだかったのだろう。想像を絶する。

黒人たちのブルース音楽、アイルランド移民のマウンテンミュージックにフランス移民のケイジャン音楽。共通して言えるのは、彼らには独自の音楽文化があり、苦しい日々を生きる支えになっていたこと。


19. オイルブームの町

- 平成28年2月3日水曜日 15:00







ルイジアナ州ニューオーリンズに一泊した翌日。ルイジアナ州を更に西へ200㎞走る。




道中にあるルイジアナ州都バトンルージュでひと休み。


Trader Joe's で休憩 (ルイジアナ州バトンルージュ)







巨大な沼 ヘンダーソン・スワンプ(ルイジアナ州)


その後に続く広大な湿地帯や不気味な沼(上の写真)を抜けて、ルイジアナ州ラファイエット(Lafayette)という街に到着。


ラファイエットは、人口は約10万人。イギリスに追放されたカナダのフランス人難民(cajun/ケイジャン)が入植した街だ。今もフランス語が使われる。

宿にチェックインする際、朝食の時間を確認すると、
朝5:30からとの事。早いねー」驚くと、こんな返事が帰ってきた。「みなさん朝が早いんです。」
早朝から仕事にでかけるのはオイルマン達だそう。

cajun達の文化と音楽が知りたくてここまで来たのだが、実はオイルブームに湧いた町だった。


July 24, 2012 Financial Post紙のHPより





ラファイエット(Lafayette)は、アメリカのオイルブームの町トップ10にランクされていた。アメリカのオイルとは、Shale oil(シェイル・オイル)と呼ばれる原油のことだ。

中東産油国の原油と比べ油層が地下深いため、採掘にコストのかかるシェイル・オイル。アメリカの石油会社は、価格競争を仕掛けた中東の産油国に屈し、急速に業績が悪化した。

5 February 2015 World Socialist Web Site より




「巨大オイル企業Halliburton社は、南ルイジアナで約1,000名を雇用しているが、すでにラファイエットでレイオフが始まった。」


今、アメリカのガソリン価格は、安いところでは15ドル/ガロンまで低下している。日本円で47円/Lになる。
日本でも100円を割ったスタンドがあるらしい。(1gallon=3.785L、1ドル=120円で換算)

原油価格が極端に低下しているからだ。このままでは、アメリカだけでなく、さすがの中東の産油国もコスト割れの国が出るだろう。オイルマネーの投資先、日本株からの引揚げが続くと日本の株価は更にマイナスへと動く要因になるのではないだろうか。