歴史、音楽、サッカーをテーマに、ヨーロッパ各国とアメリカ各州を歩いた旅の記録です。アジアも少し歩き始めました。

ヨーロッパの旅は、バルセロナやドルトムントなど有力サッカーチームの試合観戦と古代ローマなど西洋史の舞台や遺跡を巡ります。

アメリカ各州の旅は、ポピュラー音楽を楽しみつつ、その歩みや歌詞を手掛かりに、各地の文化、歴史と触れ合います。移民大国、人種のサラダボウルと呼ばれる国、アメリカ。生み出される音楽も実に多種多様です。以下はこの旅で出会った音楽です。

country music (カントリー)、western swing (ウェスタンスウィング)、roots rock (ルーツロック)、southern rock (サザンロック)、pops (ポップス)、bluegrass music (ブルーグラス)、folk music (フォーク)、mountain music (アパラチア山脈の伝統音楽)、blues (ブルーズ)、R&B、soul music (ソウル)、Dixieland jazz (ディキシーランドジャズ)、cajun music (ケイジャン)、zydeco (ザディコ)、minstrelsy (ミンストレルシ)                      (タイトル写真) Pensacola Beach,Florida,USA
     

11/06/2015

3. マカオの歴史地区



マカオ観光のメインは、ポルトガル統治時代の歴史的建造物。マカオの歴史地区には、世界遺産の建造物が20以上もある。歩いても回れるが、アップダウンがあるので、タクシーをうまく使うのが効率的。
今回は、マカオ中心部のセナド広場から徒歩でスタート。





マカオ案内図



民政総署(民政總署大樓, Edifício do Leal Senado)




ポルトガル統治時代のバロック様式の議事堂。今はマカオ特別区の役所。

仁慈堂(仁慈堂大樓, Santa Casa da Misericórdia)


18世紀後半のコロニアル様式の建物



大堂(大堂, 聖母聖誕堂, Catedral Igreja da Sé)



17世紀に建設されたカトリックのマカオ司教区の建物。カトリック教会マカオ支部というところか。

聖母マリアの生誕に捧げられた教会という意味から、聖母聖誕堂とも呼ばれている。





盧家屋敷(金玉堂, Casa de Lou Kau)







清の時代1889年建設の邸宅。マカオの有名な商人盧一族の屋敷だった。商才に富み、質屋と両替商で財を成した。中洋折衷の精巧なインテリアが特長。




聖ドミンゴ(ドミニコ)教会(玫瑰堂, 板樟堂, Igreja de São Domingos)




ポルトガルはカトリックの国であるので、マカオの歴史的建築物もカトリック教会関連の建築物が多い。
カトリックの中でも、イエズス会とドミニコ会は早くからマカオに進出していたようだ。

特にイエズス会は、1549年布教のため来日したフランシスコ・ザビエルが所属した修道会として有名。

なぜポルトガルから最も遠い日本にまで命がけで布教に来たのかなと思うけどね。しかしその30年前の1517年、ルターによるカトリック教会批判を口火として、宗教改革の波が大きくなっていた。
プロテスタントの攻勢とカトリック教会の腐敗でヨーロッパのカトリック教徒が減少し、その屋台骨が揺らいでいた時代だったわけだ。


ところでこの教会は、1587年建造のドミニコ会の中国初の教会。バラの聖母を祀るため、バラの教会(玫瑰堂)とも呼ばれるらしい。
教会の中に入ると、正面に聖母マリアがイエスを抱いて立っている。
聖母マリアとイエス 
確かにバラが飾ってある。



聖ポール天主堂跡
(大三巴牌坊, Ruínas da Antiga Catedral de São Paulo)


1585年イエズス会が建設。カトリック教理を教える学校だったそう。幾度も火災に遭い、ファサード(正面外壁)しか残っていない。




ファサードの裏側


聖フランシスコ・ザビエル礼拝堂


聖ポール天主堂の一角にある。



モンテの砦(大炮台, Fortaleza do Monte)

外敵からマカオを守るために作られた砲台。見晴らしがすばらしい。

砲台を目指し、急な坂を上がる



砲台からカジノ場を望む




マカオ博物館

砲台につくられた博物館。






館内に入ると、いきなり兵馬俑の兵士が出迎えてくれる。
秦の始皇帝陵から一体だけ運んできたのだろうか。
立派な体格の兵馬俑の兵士


博物館には、マカオの伝統的産業と文化が展示・紹介されている。
茶の販売店

英国のTea、インドのチャイなど世界の各地に中国語の茶は広まっている。発音が違うのは、中国の地域により読みが異なっていたため。


港の様子 漁業も盛んだった

 マッチのブランド 爆竹業も盛んだった 

人形劇



Cricket Fight (コオロギを戦わせる競技)

クリケットファイトの優勝旗

伝統的婚礼衣装 

ポルトガル風婚礼衣装 

第二次大戦下のマカオ


第二次大戦の頃のマカオは、他国からの避難場所として、人口が急増した。
日中戦争の1937年頃から人口が増加しはじめ、1941年には、50万人にふくらんだ。
マカオの人々は、衣食住を提供し、避難民を飢えから助け出した。



セナド広場(議事亭前地, Largo do Senado)



マカオには、ヨーロッパを彷彿させる広場が設けられており、世界遺産に登録されている。その代表がセナド広場。

0 件のコメント:

コメントを投稿